逃げると言うこと。

私は小中学校でいじめにあっていました。

最初は小学校1年生の時

2回目は中学校1年生の時。

どちらもちょっとしたことがきっかけ

クラスのリーダー格の人にはぶられてクラスで孤立したり名前でからかわれたり。なかなか辛かったのを覚えてします。

小学生の時は双方の父親同士で話し合いをして収まりました。相手が学校の先生の子供だったので理解があってその虐めた子とも仲良く小学校を終えることができました。

中学生になると思春期のこともありかなり学校が荒れていました。喫煙やバイクが校舎の中を走ったりガラスが割れたり救急車や消防車が来たり他校との抗争があったり。(昭和の時代ではないですよ?)

そんな中である時トイレに呼び出され調子に乗っているという理由でボコボコにされました。担任にも相談しましたが仲良くするようにと諭されました。この状態が続き、学校に行くのが嫌になりたった2、3キロの道のりがとても辛かったのを覚えています。仕舞いには金銭を要求され母親に相談したのを今でも覚えています。

「こんな虐められるような自分でごめん」

涙を堪え、どもりながらもことの次第を話しました。虐められたうえに親にまで自分の惨めな話をする心情というのは耐え難かったです。その時母親も涙流しながら黙って聞いてくれました。全て聴き終わった後に

「話してくれてありがとう」

と言ってくれました。今まで我慢していた涙がどっと溢れるように流れ出しました。

そのあと学校に行ってもらい担任へ相談をし、解決の場をもってもらいました。

理由は分かりませんが、そのあと担任は学校を辞めて行きました。

いじめに対してはいろんな見解があります。いじめるほうが悪い虐められる方にも理由がある。いじめなのかただからかっているだけなのか線引きも難しいです。なんなら同じクラス内でそのような事態になっていても担任ですら気づけないこともある。虐められてる側はどんどん疲弊して勉強もプライベートも手につかなくなってくる。最後は学校に来なくなる。

じゃあどうしたらいいのか。

まずは助けてと誰かに言う以外方法がないと思います。

それでもダメなら環境を変える流れでいいと思います。転校でも登校拒否でも社会人なら転職や退職なんでもありです。逃げてもいいんです。人間心が病んでもトラウマでもこれから長い人生それをずっと背負っていくんです。時間が経ったら忘れるなんて事ありません。昔ほど悩まなくなるだけでその深い傷跡は残り続けるんです。そんな辛い記憶なんて人生でこれっぽっちも必要なものではないんです。この経験が未来の自分に云々など今苦しんでる人には全く響かないです。

逃げてください。自分を守るために。なんにおいても逃げることも立派な戦略です。逃げることは負けることではありません。自分が負けを認めるまでは負けることはないんです。


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